Knocking on the Dream | |
X-prizeの条件をクリアして賞金11億円を獲得したSpace Ship One |
横山氏が宇宙旅行ビジネスに携わるようになったきっかけは、米国滞在中にスペースアドベンチャー社の活動を知ったことだ。横山氏自身も宇宙旅行の夢を抱いていたこともあり、帰国後すぐにスペースアドベンチャー社と連絡をとり、日本語案内デスクを立ち上げたという。 その頃、チトー氏に続いて夢の民間宇宙旅行を実現させるために、スペースアドベンチャー社が世界中で代理店を募集していたこともグッドタイミングだった。
「米国同時多発テロ直後の 2001年 12月、スペースアドベンチャー社の各国の代理店責任者がワシントンに集まり、結団式を行いました。多分集まった多くの人は私と同様半信半疑だったと思うのですが、責任者の民間宇宙旅行への思いとビジョンを聞いて本気になりました。そこで日本に帰ってから Web サイトを立ち上げたわけです」
夢の実現をサポートする道に乗り出したのが 2002年春。Web サイトを立ち上げ募集を開始する。宇宙旅行の夢を抱いている人からの問い合わせが予想以上に多く、ジェット戦闘機での無重力体験などを申し込む人もいたという。またペプシコーラの販売プロモーションにも採用され、話題になったことは記憶に新しい。横山氏自身も無重力体験フライトを体験し、宇宙旅行の夢請負人として、各界を回りサポート活動に注力するにようになった。しかし、宇宙旅行が単なる夢ではなくなったという雰囲気が出てきた頃に、スペースシャトルのチャレンジャーの爆発事故があり、一気に宇宙旅行熱は冷めたという。
「スペースシャトルの爆発事故があって以来、問い合わせは激減しました。しばらく、宇宙旅行は冬の時代が続きました。ようやく 2004年 10月、民間企業が開発した宇宙ロケット Space Ship One が成功して、日本でも再び夢の宇宙旅行に関心が高まっています。その後、2人が即決で宇宙弾道飛行 (後述) に申し込まれました」 (横山氏)
Space Ship One は米国スケールド・コンポジット社の宇宙船で、「3人の乗員を高度 100km の弾道飛行 (サブオービタル飛行) に乗せ、無事帰還させる宇宙船を政府の支援なしに開発すること、そして上記飛行を同じ機体によって初飛行から 2週間以内にもう一度行うこと」という X-prize (コラム2参照) の掲げた 2条件を見事クリアして、多額の賞金を獲得した。この成功によって、宇宙旅行熱は再び高くなった。
Space Ship One は、政府がタッチせず民間だけで 30億円以下で再使用できる宇宙船の開発が可能であることを示した。そして、1回目の宇宙飛行から 5日後に同じ宇宙船を使って宇宙に行けることを実証し、航空機レベルのコストダウンと安全性を両立できることを証明したのだ。Space Ship One の成功によって、宇宙旅行がビジネスとして成り立つことが明らかになり、民間宇宙旅行がぐっと身近になった。再び夢請負人である横山氏への元にも問い合わせがくるようになった。